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▲玉川と川沿いに咲く山吹

 
 歌枕井手の玉川
 私達の住む南山城で、古典文学の世界で最もよく知られた地はどこかと言えば、井手を挙げるべきでしょう。井手は、その地を流れる玉川と、山吹・蛙の里として、古来多くの詩歌に詠み込まれてきました。かつて「八代集」を調べていた時に、山吹・蛙といえば、決まったように井手と共に詠まれているのを知り、驚いた記憶があります。井手は、歌枕(うたまくら)として、文人達の憧れの地であったのです。
 井手の地は、いつ頃から有名になったのでしょう。奈良時代に編纂(へんさん)された『万葉集』には、南山城の歌が多くありますが、多賀を詠んだと思われる歌が二首あるのみで、井手の地名は見あたりません。
 井手が古典文学の世界に登場するのは、十世紀初頭に成立した『古今集』がその始めでしょう。『古今集』巻三に、
蛙なく井手の山吹ちりにけり花のさかりにあはましものを 
という歌があります。蛙と山吹が詠み込まれていますが、権威ある第1番目の勅撰集『古今集』のこの一首が、和歌の世界に於ける井手のイメージを、おそらく決定したのではないでしょうか。
 『古今集』以降の歌集や物語には、井手は盛んに登場するようになります、
・色も香も なつかしきかな
 蛙なく 井手の渡りの
 山吹の花    (小野小町)
・かはべなる 所はさらに
 多かるを 井手にしも咲く
 山吹の花   (和泉式部)
・山吹の 花咲く井手の
 里こそは やしうゐたりと
 思はざらなむ   (西行)
 小町の歌は、井手町地蔵院下の小町塚に刻まれています。小町は謎の多い歌人ですが、晩年井手に住んだとする記録もあります。「なつかしき」は、「慕わしい」の意味です。
 「西行」の歌の下の句は、「心安らかに過ごしていたと思わないでほしい」の意。世俗を捨て、花や月を求めて諸国を旅した西行は、歌枕井手に憧れて、きっとこの地を実際に訪れてこの歌を詠んだことでしょう。

 藤原俊成駒止めの歌
 さて、井手を詠んだ歌の中で代表歌を挙げるとすれば、
駒とめてなほ水かはん山吹の花の露そふ井手の玉川
『新古今集』所収、藤原俊成の歌です。一首は、「馬を止めてもっと水を飲ませよう。山吹の花の露が落ち加わった玉川の水を」の意。旅の途中にある作者が、山吹の咲く玉川に心惹かれて立ち去りかねているというのです。清らかな玉川の流れに、鮮やかな山吹の花の露までも添い加わって、いっそう清らかさが増しています。印象鮮やかで、まるで1幅の美しい絵を見ているような歌です。「花の露そふ」が一首の眼目。俊成は、この時76・7歳であったということですが、詩人とは何とみずみずしい感性をもっているのかと、敬服させられます。この一首は「俊成駒止の画」として絵にも描かれて、歌枕井手の名をいっそう高からしめました。


▲狩野内膳筆(伝)「玉川観山吹図」
(村田名良夫氏蔵)
   現在の玉川
 現在の井手は、玉川沿いに桜並木が続き、季節には多くの人で賑わいます。
 桜におされた感はあるものの、山吹も地元保勝会の方々を中心に、大切に守り育てられています。山吹には一重と八重がありますが、玉川沿いに住む方に伺ったところ、一重山吹は桜とほぼ同じ時期に咲き、八重山吹は桜が終わってから1週間くらい後に咲くということでした。
 今年、私は、八重山吹の咲く頃に、井手の玉川を訪れました。山吹咲き続く玉川辺りは静かで、魚を捕りに来た家族の方の声が聞こえるばかりでした。1人、年輩の方がリュックを背負って歩いておられ、山吹観賞を目的に来られたのでしょう、川沿いの山吹の花をカメラに収めておられました。
 古歌の世界を想いつつ、山吹の花咲く玉川沿いを散策するのも、南山城の春の楽しみの一つであると思います。

■著者プロフィール■
小西 亘(こにし わたる)
 
1958年、南山城村に生まれる。82年より京都府立高校に勤務。現在府立南陽高校国語科教諭。『注釈青谷絶賞』『「月瀬記勝」梅蹊遊記訳注』執筆。

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