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▲安積親王墓(和束町白栖)

 
 和束町は茶処、「和束茶」の産地として名高い。
 木枯らしの吹く寒い1日、久しぶりに和束の安積親王(あさかしんのう)の墓を訪れた。墓は、和束川右岸の「太鼓(たいこ)山」と呼ばれる孤立した丘陵の頂上に築かれた円墳である。周囲は同心円状に刈り込まれたみごとな茶畑が頂上まで続き、遠目にもそれとすぐにわかる。
 安積親王は、聖武天皇の第2皇子である。第1皇子は基王(もといおう)といい、神亀4年(727)藤原不比等の娘光明子(こうみょうし・藤原安宿媛(ふじわらのあすかべひめ)を母として生まれた。生後すぐに皇太子に立てられたが、わずか1年で早逝してしまった。基王の死とほぼ同時に、県犬養広刀自(あがたいぬかいのひろとじ)を母として生まれたのが安積親王である。
 普通であれば、基王亡きあと親王は唯一の皇子であり、皇位継承者として皇太子に立てられるはずであったが、立太子したのは、光明皇后の娘阿部内親王(あべないしんのう(後の孝謙・称徳女帝))であった。つまりは、もし安積親王が皇太子になった場合、藤原氏は政界の権勢を県犬養氏に奪われることになり、親王の立太子は藤原氏にとって、どうしても阻止しなければならないものであったのである。
 天平16年(744)閏(うるう)正月11日、安積親王は聖武天皇の難波宮(なにわのみや)への行幸(ぎょうこう)に随行したが、その途中、気分が悪くなり桜井頓宮(とんぐう(大阪府東大阪市六万寺))から恭仁宮(くにのみや(加茂町))に戻り、その2日後の13日に急死した。『続日本紀』には、この時の様子を「是の日、安積親王脚の病によりて桜井の頓宮より還れり。丁丑(13日)薨(こう)す。時に年17」と記している。死因は脚気であったという。17歳というあまりにも短い生涯であった。
 このころの政局は混迷を深め、皇位継承の有力者であった安積親王の急死は、さまざまな疑惑を生んだ。親王の死因が脚気衝心(しょうしん)ではなく、藤原仲麻呂が恭仁宮留守官であったことや、親王の立場から考えて仲麻呂やその妻藤原袁比良(おひら)が謀殺したという説もある。
 大伴家持(おおとものやかもち)は、『万葉集』に2月3日と3月24日に作った2篇(6首)の挽歌(ばんか)を残している。家持は、たびたび親王と宴をともにし、親しく接していたこともあり、親王薨去の知らせは、大きな衝撃であったろう。
 親王の薨後三七(さんしち)日にあたる2月3日(太陽暦3月25日)に作られた次の長歌と反歌2首は、親王の急逝に対する悲嘆を主想とする実に堂々たるものである。


▲恭仁京大極殿跡(加茂町例幣)
 16年甲申春2月、安積皇子の薨ずる時に、内舎人(うどねり)大伴宿禰(すくね)家持の作る歌6首

かけまくも あやに恐(かしこ)し 言はまくも ゆゆしきかも 我(わ)が大君(おほきみ) 皇子(みこ)の命(みこと) 万代(よろづよ)に めしたまはまし 大日本(おほやまと) 久邇(くに)の都は うちなびく 春さりぬれば 山辺(やまへ)には 花咲きををり 川瀬(かわせ)には 鮎子(あゆこ)さ走(ばし)り いや日異(ひけ)に 栄(さか)ゆる時に およづれの たはこととかも 白たへに 舎人(とねり)よそひて 和束山(わづかやま) 神輿(みこし)立たして ひさかたの 天(あめ)知らしぬれ こいまろび ひづち泣けども せむすべもなし
(巻3−475)

  返歌
  我(わ)が大君(おおきみ) 天(あめ)知らさむと
  思はねば おほそに見ける
  和束杣山(わづかそまやま)
  (同−476)

  あしひきの 山さへ光り
  咲く花の 散りぬるごとき
  我(わ)が大君(おほきみ)かも
  (同−477)
   右の3首は、2月3日に作る歌。

 安積親王が眠る太鼓山からは、和束の町が一望できる。
 墓前にたたずむと、家持が哀惜の情をもって表白した荘重な挽歌に詠まれている葬送の行列が、夢まぼろしのごとく、目に浮かぶようである。
 奈良時代は、天平の華やかな光の部分と、政界の暗い雰囲気が漂う影の部分があることを考えながら、夕暮れの和束をあとにした。

 
■著者プロフィール■
西脇一修(にしわき かずのぶ)
(昭和24年9月15日生)
 現在 久御山町長寿健康課長、京都府文化財保護指導委員
主な著書
「京都府の地名、日本歴史地名大系26」(平凡社)
「久御山町史 全3巻」(久御山町)
「目で見る南山城の100年」(郷土出版社)
「京都・山城寺院神社大辞典(平凡社)」ほか

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