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▲家康「伊賀越えの道」(宇治田原町奥山田)

 
 天正10年(1582)6月2日早暁、京都四条坊門西院界隈(かいわい)は、ただならぬ雰囲気を漂わせていた。
 激しい馬のいななき、鬨(とき)の声と草摺(くさずり)の音、陣貝(じんがい)・鉦鼓(しょうこ)がとどろき、すさまじい鉄砲の音が夜明けの静寂な大気を震わせた。寺の内外には水色に桔梗(ききょう)の紋を染め抜いた旗指物(はたさしもの)がひるがえり、おびただしい軍兵がひしめきあっていた。
 織田信長自ら中国へ出陣するため逗留(とうりゅう)していた本能寺へ明智光秀が急襲したのである。信長は防戦したがかなわず、寺に火を放ち自害し、二条御所に仮宿していた信長の長子(ちょうし)信忠も自刃して果てた。信長が日頃愛誦する謡曲「敦盛」の一節にいう「人間五十年」に1年およばない49歳の生涯であった。この事件が、いわゆる「本能寺の変」と呼ばれるものである。

 この変の3ヵ月前、信長は軍事同盟を結んでいた徳川家康とともに、天目山(てんもくざん)において武田勝頼を滅ぼし、4月21日に安土へ凱旋したばかりであった。この戦いの勝利で、家康は、信長から駿河一国を与えられ、家康の説得に応じ、武田家を寝返った穴山梅雪(あなやまばいせつ(信君))も甲斐河内領を安堵(あんど)された。信長の勧めにより5月15日、論功行賞(ろんこうこうしょう)のお礼のため安土を訪れた家康・梅雪らの一行は盛大な接待を受けた。この時、接待役に任じられたのが光秀であった。
 家康・梅雪らの一行は、21日に上洛して京都見物をすませ、29日に泉州堺に入った。当時の堺は国際貿易港として大いに繁栄していた。家康は納屋衆(なやしゅう)今井宗久(そうきゅう)をはじめ会合衆(えごうしゅう)天王寺宗及(そうきゅう)・松井友閑(ゆうかん)らの茶会に招かれ6月2日の朝、本能寺に宿泊している信長に会うため堺を出発した。

 家康が河内の飯盛山(いいもりやま(四条畷市))で、京都から引き返してきた茶屋四郎次郎から本能寺の凶変を知らされたのは、同日の昼頃であった。家康は明智勢と一戦し、信長の後を追わんとしたが「ひとまずは領国へ帰り、改めて弔い合戦をされるように」という近臣の意見を聞き入れ、急遽(きゅうきょ)領国三河(愛知県)へ向かった。
 ところで、家康は南山城のどの道を通って三河へ避難したのだろうか。そのルートについては諸説あるが、飯盛山から尊延寺(そんえんじ(枚方市))を過ぎ、穂谷(ほたに)から田辺の普賢寺に入り、興戸を経て草内(くさじ)で木津川を渡り(草内の渡し)、市辺(いちのべ)(城陽市)から宇治田原に入ったと考えられている。戦国時代、宇治田原は都から東国へ抜ける交通の要衝であり、郷之口の山口甚介秀康の居城(山口城)に立ち寄って休息したと伝える。その後家康は、信楽から伊賀の間道(かんどう)を抜け、伊勢の白子浜から乗船して、岡崎城に無事帰り着いた。

▲穴山梅雪の墓(京田辺市飯岡)
  この堺から領国三河までの逃避行は、本能寺の変により世情の不安定なことに加え、土民の一揆・野盗・野伏(のぶせり)に襲われる危険きわまりないものであった。しかし、途中、伊賀者の助力や茶屋四郎次郎の周到な根回しのかいあって乗り切ることができた。
 この逃避行は、家康の一生のうちで最も大きな危険の1つに数えられ、後にいう「神君伊賀越えの御難」といわれるものである。
 一方、梅雪であるが、家康から少し遅れて堺を出発し、同じ伊賀越えの道をたどったが、宇治田原に向かう草内の渡しで河内の土民に襲われ、従者ともども殺されたという。
 徳川260余年の礎(いしずえ)を築き、死後、神(東照大権現)と祀られた家康、かたや、武田家の重臣でありながら武田家を裏切り、木津川を目前にして渡り切れず、無念の涙をのんだ梅雪。2人の武将の明暗を分けた木津川は、まさに生死の境であったといえよう。
 悲運の武将、梅雪の墓は草内の南、木津川を望むことができる飯岡の共同墓地の中にもの悲しく建っている。

 
■著者プロフィール■
西脇一修(にしわき かずのぶ)
(昭和24年9月15日生)
 現在 久御山町長寿健康課長、京都府文化財保護指導委員
主な著書
「京都府の地名、日本歴史地名大系26」(平凡社)
「久御山町史 全3巻」(久御山町)
「目で見る南山城の100年」(郷土出版社)
「京都・山城寺院神社大辞典(平凡社)」ほか

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