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▲『拾遺都名所図案』

 
 世相混濁とした平安時代末期から鎌倉時代初期、念仏によってはじめて民衆に生きる自覚と喜びを与えた1人の僧がいた。終生、墨染(すみぞめ)の衣(ころも)を身にまとい念仏聖(ひじり)として過ごし、浄土宗を開いた法然(ほうねん)、その人である。
 法然は、晩年の四国へ配流(はいる)された以外、畿内から出ることがなかった。したがって、その足跡の多くが京都を中心に点在している。
 京都府木津川市の市坂に念仏の功徳(くどく)の大きさを示す法然の旧跡がある。
 市坂は、京都と奈良の府県境にあり、その歴史は古い。『古事記』や『日本書紀』に市坂の古名と推定される小字幣羅坂(へらさか)の地名が残り、旧奈良街道筋には今も古い民家が立ち並び、昔日の面影をとどめている。
 法然の旧跡である市坂念仏石堂は、旧街道に面した玉垣の内にあり、石造十一面観音菩薩立像を祀る動(ゆるぎ)観音堂と役行者(えんのぎょうじゃ)と念仏石を安置した2つの小堂が並んで建てられている。念仏石は、向かって左の堂の2部屋に分かれた左端の部屋に安置され、幅2メートル余り、高さは優に1メートルはあろうかと思われる卵型の大きな石である。
 念仏石はひとつに「法然石」ともいい、江戸時代に書かれた『扶桑京華志(ふそうけいかし)』『雍州府志(ようしゅうふし)』『名所都鳥(めいしょみやこどり)』『都名所図会(みやこめいしょずえ)』『拾遺都名所図会(しゅういみやこめいしょずえ)』などの地誌や木津を訪れた旅行者の見聞記にもみえ、近世には法然の旧跡として広く知られていたことがわかる。

 この石について、近くの安養寺の齋藤隆弘住職からいただいた「栞(しおり)」には、次のような話が書かれていた。
 建久6年(1195)3月、法然は俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)の請により東大寺大仏殿再建の落慶法要の導師として招かれたが、こと終わって京都に帰る途中、法要で念仏を唱えただけの法然に不満をもった何百人という人々が一団となって法然を追跡し、大和と山城の国境で追いついた。人々は法然に、ただ念仏の話をしただけで法相(ほっそう)・華厳(けごん)等の宗義には触れなかった理由を問いつめたところ、法然は1枚の紙に「南無阿弥陀仏」と六字の名号(みょうごう)を書いて、傍らにあった石と重さを比べてみせた。法然が念仏を唱え、はかりに掛けた石に手を触れると、石は次第に上がり、名号の書かれた紙はやがて地面についたという。この不思議な光景を目の当たりにした人々は、念仏の功徳の大きさに驚き、この石を「念仏石」と名付けたという。
 この奇瑞の場所は、府県境に今も「高座(こうざ)」という小字名として残っている。法然が記した名号は、安養寺に納められたが、念仏石は永正5年(1508)に名号を慕って旧地の高座より光明(こうみょう)を放ってこの地に飛んできたといわれる。


▲市坂にある念仏石堂
 なお、「念仏石縁起」にいう建久6年3月の東大寺大仏殿供養会導師を務めたのは、法然ではなく興福寺別当(べっとう:住職)の権僧正覚憲(ごんそうじょうかくけん)であるが、法然と重源との結び付きは深いものがあった。
 建久2年、法然は重源の請によって工事半ばの大仏殿の軒先で、極楽往生の方法が説かれている「浄土三部経」を講説している。この講説には、南都の僧侶だけでなく多くの老若男女が参加したという。幅広い聴衆を前に法然が説く専修(せんじゅ)念仏の教えに人々は酔いしれたことであろう。そのように考えると、江戸時代の地誌などがいうように、南都での法悦に浴した多くの民衆が法然を慕いその後を追ってきた話や、法然が石に座して法要を行ったことなどは、あながち架空の話として一笑できないものがある。おそらく南都における法然の勧化(かんげ)などが付加されて念仏石の縁起ができあがったのではないだろうか。
 先達て念仏石を訪ねたとき、早朝にもかかわらず一心に手を合わす参拝人の姿をみた。その後姿に、今も脈々と生き続ける祈りの世界をみる思いがした。

 
■著者プロフィール■
西脇一修(にしわき かずのぶ)
(昭和24年9月15日生)
 現在 久御山町長寿健康課長、京都府文化財保護指導委員
主な著書
「京都府の地名、日本歴史地名大系26」(平凡社)
「久御山町史 全3巻」(久御山町)
「目で見る南山城の100年」(郷土出版社)
「京都・山城寺院神社大辞典(平凡社)」ほか

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