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▲平等院で会合した国人衆(想像図)
(「絵がたり山城国一揆」より)
 
  【応仁の乱 南山城へ】
   全国の小・中・高校生が学ぶ歴史の教科書には、必ず山城国一揆の記述がある。

 応仁元(1467)年から11年にわたって、京都と山城では戦乱が続いた。将軍家や幕府の中心である畠山家、斯波(しば)家の跡目争いがきっかけになって、全国の守護大名が2つに分かれて争ったのである。この応仁の乱は、その後も畠山政長(まさなが)と畠山義就(よしなり)の二派に分かれて争いが続き、各地へ広がっていった。

  南山城でも、地元の武士は、この争いにまきこまれて戦乱に明け暮れる歳月を過ごした。

 文明17(1485)年秋になって、両畠山軍の大部隊が南山城で対陣し、村むらは荒れ果て、農民はもとより、村むらの指導者であった武士、その頭である国人にとっても、抜き差しのならない事態となった。
 
【上山城の国人衆と人びとが集う】
   12月11日、両軍に組みこまれていた国人衆は、住民の支持を受けながら、周到な準備をして立ち上った。

 『今日、山城の国人集会(しゅうえ)す、
 上は六十歳、下は十五、六
 歳と云々、同じく一国中の
 土民等群集す、・・・ 』

奈良興福寺大乘院門跡の尋尊(じんそん)は自らの日記にそう書いている。国人衆は両軍の撤退を求め、今後の「国」の運営を進めるための掟法(じょうほう)を定めた。「今後両畠山方の者を国中に入れてはならない」、「所領はもとのごとく領主の直接支配とする」、「他国の者を代官として入れてはならない」、「住民は年貢などを無沙汰してはならない」、「新関などは一切たててはならない」、という内容であった。両軍撤退は困難を極めたが、ねばり強い交渉を行ない、礼銭を払い、「去状」を受け取った。

 「集会」は、自分たちの行為や約束が嘘偽(うそいつわり)でないことを神仏に誓った起請文(きしょうもん)を書いて、この紙を焼いた灰を交えた水を神前に供えたあと、これを飲み交わして「一味同心」するという「神水集会(しんすいしゅうえ)」であった。国中の人びとはかたずをのんで見守ったにちがいない。

 山城国一揆の範囲は、山城国上三郡の久世・綴喜・相楽の三郡、「国中三十六人衆」は、この組織を「惣国(そうこく)」と呼び、掟法に基づいて運営した。
 
【国人衆平等院に会合する】
 
▲今日の平等院阿弥陀堂(鳳凰堂)
 明けて文明18年2月13日、尋尊の日記が書いている。

 『今日、山城の国人、平等院
 において会合す、国中の掟
 法、なお以ってこれを定む
 べしと云々、・・・』

これは「集会」ではなく「会合」であった。平等院は、国一揆集会の場所がわかる唯一の例であるが、ここでは12月に決定した掟法を付け加え、その運用を調整し、惣国としての組織を確立することが必要だったのだろう。会合では2名が交替で月(がち)行事を務め、司会や議題の調整、事務の執行などに当たった。

 また、この年1年間に限って、荘園領主に納める年貢の半分を切り取る「半済(はんぜい)」を命ずる文書は、「惣国月行事」2名の署名がある。この制度は、国一揆成立時の費用を捻出するためのものであった。

 このころから、今でいえば、警察の仕事や、裁判の手続き、行為を中心として、惣国の運営が進められていった。

 国人たちは阿弥陀如来の前で、きっと仏の加護を祈っただろう。この世で極楽浄土を見たければ、宇治の平等院をうやまえ、とまでいわれた地で寄合を開いたのは、国人をはじめ人びとの思いのなかに、現世の浄土を夢みる願いがあったのだろうか。

 応仁の乱から戦国時代へと続く長い戦乱の間の8年間、しばらくの「平和」と「自治」を試みた貴重な時間である山城国一揆という出来事のなかで、平等院は、その名を知られている。


※木津町史本文篇、精華町史本文篇、けいはんな風土記、絵がたり山城国一揆を参考にしました。
※「平等院で会合した国人衆(想像画)」 (むい・きょふう)=本名:井上孝博  画

 
■著者プロフィール■

昭和7年生まれ
 38年間、山城地域の小・中学校に勤め、現在、城南郷土史研究会 代表。
山背古道探検隊長。
 「木津町史」、「山城町史」などの町村史と「京都府の地名」(平凡社)、「山城国一揆」(東大出版会)、「けいはんな風土記」(同朋社)などの編集や執筆に加わってきた。

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