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慶長9(1604)年三間社流造として造営された
現在の高神社本殿
 
  【四百点もの文書が伝えられてきた】
   井手町多賀(たか)は、東に山が連なり、西には木津川が流れ、集落は山から西に伸びる丘陵や山麓に広がっている。
  多賀郷の人びとの心のよりどころ、連帯の絆の中心は、長い歴史の時間、里山の一つの峰にある高神社であった。この社は古代に創立され、大梵天王社ともいわれた、古くからの神社である。この神社には約四百点もの古文書が伝えられてきた。
  【鎌倉時代の社殿造営と人びと】
   なかでも、最も古い文書は、120年ぶりとなった文永8(1271)年の社殿造営のようすを記録したものの写本である「高神社流記(るき)案」である。なにしろ蒙古がわが国に襲来したころのことで、こんな昔の人びとの姿がわかるのはめずらしい例である。
  当時の多賀郷には、郷の中心となり、荘園の役人をつとめるような「殿原(とのばら)」といわれる人たちと、「地下(じげ)」と呼ばれる里人との2つの階層があった。社殿造営にお金などを寄進している一人ひとりの奉加(ほうか)額は、殿原とその母、妻、娘とみられる「女房」が多く、地下は少ないが、人数でみると殿原とその女房たちが42人、地下は132人である。里人は殿原に近い層もあって幅広いが、その大多数の81人は1人50文を出している。この2つの階層関係が、多賀郷の基盤であったことがわかる。

  社殿の遷宮にあたって行われる「宝堅(ほうがため)」といわれる神事には、神が出現するようすを演じる、まじない的な芸能が猿楽(さるがく・さるごう)で演じられた。猿楽座は宇治の若石(わかいし)座と、紀州からやってきた石王(いしおう)座の2座がその芸を競った。宇治の猿楽はその後、山城や大和で活躍するが、この記録がその初見史料となっている。
  郷民の座席は、殿原は拝殿の北脇に、その女房たちは舞台の正面に「サシキ」(桟敷(さじき))が設けられたが、里人は、「地下座シキ我々造作ス」と記されていて、「座シキ」は自分たちで作らなければならなかった。
  【郷民のまとまりが進んだ戦国時代】
   時代は下って、大永3(1523)年の「高神社宝堅目録案」という文書をみてみよう。この時は、社殿は永正5(1508)年に完成していたが、大永3年になって、やっと宝堅の儀式ができることになった。「上を始テ下万民に至マテ喜ノ歌ヲウタヰ(い)千秋万歳ノ扉ヲ開テ如意満足ス、…」などと書かれていて、郷の人びとの喜びが伝わってくる。そして、目録の署名は「惣庄」とあって、すべての人びとのまとまりを示している。

  奉加も、この時には郷内分がまとめて記されていて、他所からの奉加が1件づつ書き留められている。地域をみても、ヰテ(井手)、ふけんしん(普賢寺)、タナヘ(田辺)、トノ(富野)、タワラ(田原)、ウチ(宇治)、ヤワタ(八幡)、ヤマタ(山田)、ヒシタ(菱田)、などから、大和や河内へと広がっている。その階層も、地域の武士とその女房、有力な農民、僧侶などと、郷や郡を越えた南山城各地との交流がみられ、地縁、血縁の広い地域社会が生れ出しているようすをみることが出来る。
  【神社の記録は多賀郷の記録】
 
多賀集落と高神社の杜のある里山。
神社は、写真中央部右よりに座している。
 鎌倉と戦国の2つの文書を垣間のぞいてみたが、長い時代にわたった高神社の記録は、四季折々のくらしの行事をとおして、神に祈り、神に誓ってことを進めてきた多賀郷の人びとの記録である。南谷川に架かる宮ノ前橋を渡って、何代も何代もの人びとが広葉樹林におおわれた長い参道を登ってきた。
田中淳一郎「高神社と多賀郷」(山城郷土資料館報第2号)、井手町史「井手町の古代・中世・近世」、山路興造「宇治猿楽と離宮祭ー宇治の芸能史ー」、「城陽市史第4巻」を参考にしました。

 
■著者プロフィール■

昭和7年生まれ
 38年間、山城地域の小・中学校に勤め、現在、城南郷土史研究会 代表。
山背古道探検隊長。
 「木津町史」、「山城町史」などの町村史と「京都府の地名」(平凡社)、「山城国一揆」(東大出版会)、「けいはんな風土記」(同朋社)などの編集や執筆に加わってきた。

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